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共感できなくても、誰かの心を軽くできる人になりたい

私は、とことん「人の気持ちに寄り添う」ということが苦手だ。

誰かが体調を崩しているとき、
「大丈夫?それは大変だね」「つらいよね」と声をかけるのが、一般的な“やさしさ”なのだと思う。

一方で私は、
「熱は測った?」「薬は飲んだ?」「病院には行った?」と聞いて、どうすれば状況がよくなるかを考える。それが、私なりのやさしさや心遣いだ。

ただ、このやさしさが相手に伝わることは、あまり多くない。

私は「共感だけでは、問題は解決しない」と思ってしまう性格で、つい、人の悩みに“提案”という形で返答してしまう。
けれどおそらく、多くの人が欲しいのは、
「答え」よりも、「わかってもらえた」という感覚なのだろう。

今回は、
そんな私が「共感以外の方法」で、心が軽くなったときの話をしたい。

父の他界

私の父は数年前に亡くなっている。といっても、幼少期に両親は離婚しており、母子家庭で育ったので父に関する記憶はあまりない。

ただ私に対してだけは優しかったのを覚えている。(詳しくは書かないが、兄や母に対してはいい父やいい夫とは言えないような人だったことは、大人になって周囲からの話で知った)

数年前に法事で父方の親戚と集まったとき、そこには父がおらず、親戚からは父が入院していることを聞いた。

詳しい病名などは聞かなかったが、その時の私は「まあ、大丈夫でしょ!」という気持ちだった。

なぜなら父は身体が異常なほど丈夫で、高い階段から転げ落ちてもかすり傷で済んだり、原付で事故ってもケロリとしているようなひとだったので。入院も何度もしているがゾンビのように(失礼)元気になって戻ってくる。

10年以上会っていなかったが、その記憶から父の生命力を過信していた。

その約1ヶ月後、父が亡くなったと電話が入った。仕事中だった。

電話を切ったあと、寒くもないのに手が震えて、でも頭は冷静で「あ、人って驚くとほんとに手が震えるんだな」と思ったことを覚えている。

父は末期がんだったらしく、最後は延命はせず、一番苦しくない方法で伯父が看取ったらしい。

その後、忌引きをとるために上司に話すと「そうか…」と驚いたような悲しそうな顔をされる。そのあと忌引休暇の手続きについて説明された。
こういう時にいろんな言葉をかけられてもどう反応したらいいか分からないので、事務的な話をしてくれたのが有難かった。

火葬場で出されたご飯は余りに余り、2日分のご飯になった。

残る心のもやもや

しばらく経って、四十九日が過ぎた。その間、普通に旅行にも行ったし(もともと予定していた)ディズニーランドに行ったり、友達とご飯に行ったりもしていた。

その時見たエレクトリカルパレード

だだ、心はずっとモヤモヤしていた。

お手本のような父とは言えなかったものの、個人的な恨みもないので、生きている内に一言くらい声をかけに行けばよかったな。とか。
父は死ぬ前に何を考えただろうか。自分の人生、後悔してただろうか。私が見舞いに行って話してたら幸せな最期だっただろうか。などと想像してしまう。

ふとした瞬間にタラレバを考えてしまうネガティブ状態から、抜け出せなくなっていた。

その心の内を近い友達に話すとお互いしんどくなってしまうので(私の友人はみな共感力がすごく高い)、1年に1-2回程度に会う友人に会ったときに話してみた。

友人からもらった言葉

その子は現役看護師で、変な気を遣わずホンネで話してくれる子なので、ちょっと暗くなってしまうような話をするのも楽だった。

私「父親、自分の子供すら見舞いにも来ずに死んだの、なんか可哀想だなって思ってさ。」

状況と心境をできるだけフラットな状態で話すと、
その友達はいつになく真剣な表情で返答してくれた。

私は、それ幸せな最期だと思うよ。いろんな患者さん見てきたけど、誰も来なくて一人で辛そうに亡くなる人もたくさんいるし。でもお父さんは、病院でちゃんと治療受けられて、病院のベッドで実の兄に看取られてるんでしょ?いい最期だよ。

この言葉をもらったとき、とても驚き
「あ~、たしかに。。そうかも。」としか返すことができなかった。

そのあとは普通に過ごし、解散後の帰り道では、彼女の言葉が頭を反芻していた。

「いい最期だったのか・・」

この子の言葉には「共感」はないけど、間違いなく当時の私にはなかった客観的視点だった。

私は私の中で「可哀想な最期だった」と決めつけて、そこから繰り広げられる想像や妄想に勝手に苦しめられていたので、そこに「いい最期だった」という視点が入ったことで、気持ちが大きく変わり

この日を境に数か月あったモヤモヤからやっと抜け出すことができた。

共感しなくても心は軽くできる

そこからは、「父は生前好きなことしてたし、まあ人生後悔なかったでしょ!」と考えられるようになりました。

今考えると、相手が私と同じような状況に居ても、私だったら
「そっか、そう思っちゃうのも仕方ないよね…」としか言えなかったかもしれない。

もちろん、彼女が看護師だからこそ重みのある言葉になったのもあると思いますが、それでも私にない視点をもらえたのをとても感謝しています。

私には「共感」する能力は少ないけど、彼女みたいに、誰かがつらいとき新しい視点で相手の心を軽くできるような人になりたい。

でも誰かが風邪をひいたときには、
薬を飲んだか聞く前に「それは辛いね…」と共感するようにしたいと思う。